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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 148

湖の休日  足バンさん

ジュンホ君との約束の日はいい天気になった

俺とソクさんは教えてもらった湖に到着した
ジュンホ君ファミリーはまだ着いていないようだ

季節がら何組かの親子連れやカップルが釣りを楽しんでいたが
穴場というだけあって互いの存在が気にならない程度の密度

雲のないすっきりした空が湖面に映り
小さなさざ波が羽根を広げるように光っている
遠くにいくつか立てられた色とりどりのテントは小さな積木のようで
どこか懐かしく微笑ましい

ソクさんは早朝から準備をしていたけれど元気はいまひとつ
そのくせこちらが黙っているといきなりはしゃいで見せたりもする

「気持ちいいですねー」
「今日は僕の釣りの腕を見せてあげるからね」
「本当に得意なんですか?」
「元来僕はアウトドア系だしね」
「アウトドアって話なら俺だって鍛えられてますよ」
「実践経験が違うんだなぁ」
「よっし!じゃターフ組み立て競争しましょう!」
「ええっ?」
「よいドンッ」

俺は日除け用のターフの片側を抜けがけで組み立てはじめた
ソクさんは慌てて片側にとびかかったにもかかわらず
タッチの差で負けたのはやはり俺だった

「うはははっ若けりゃいいってもんじゃないんだからね!」

勝ったと手を叩いて喜ぶソクさんに思わず笑ってしまう
今日は子供たちに会うからって髭も綺麗に剃ってきたって…
そんなソクさんに思わず笑ってしまう

でもそんな笑顔がカラ元気だってこともわかっている

感じてはいる…
ソクさんはジュンホ君のお子さんに亡くなった自分の子供を重ね合わせている
そのことだけじゃなく最近なぜか昔のことを思い出すことが多い
そうなんですよね?
それは仕方ない…だけど…

「次は渓流釣りもいいですよね」
「うん…そうね」
「海はどうですか?」
「うん、いいかも」
「俺のこと信用できませんか?」
「うん…えっ?」
「…」
「…」
「ひとの話ちゃんと聞いてますかっ?」

俺の腕を掴もうとするその手をかわして素早く後に回り込み
座っているソクさんの背中から喉元を確保した

「隙だらけ!俺がテロリストならたった今あの世に到着ですよっ」
「ね、何だよさっきの信用って、何のこと?」
「…」
「何だよ」
「ソクさん…毎日楽しいですか?」
「もちろんだよ…何で?」
「ううん…ならいいですけど…」

俺はそのまま暫くソクさんの背中にくっついていた

「何だよ…どうしたんだってば…」

思い出そうと寂しがろうと強がろうと酔っぱらおうと
それはいい、それはいいんだけれど…

爪の先ほども俺に話そうとしないソクさんの気持ちが掴めなくて
ここから先どう行動していいのかがわからない
俺は…
ひとに信用してもらえなくなることが…恐くて仕方ない

道の向こう側から楽しそうな騒ぎが聞こえる
ジュンホ君ファミリーは少し離れた場所に車を停めて
何やら大騒ぎであれやこれやを運び出していた

「何だかすごい荷物ですね…何持ってきたんだろ」
「子供ってね、あれこれ関係ないものも持ってくるもんなんだよ」
「…ふぅん」

手を振りながらジュンホ君とジュン君たちが走って来る

「ホントだ、あのデカイのリモコンカーだ、やっぱドンジュンがいたら盛り上がったのに」

そう言ってソクさんを振り返ると…
ソクさんはものすごく緊張した顔でジュンホ君たちを見ている

「やぁおそくなってすみません!こっちがジュンでこっちがウォンです」
「「初めまして!」」
「こちらがソクさんでそちらがスヒョクくんだよ」
「初めましてよろしくね」
「「よろしくお願いします!」」
「ちょっとソクさんってば」
「あ、ああ初めまして、よろしく」

俺たちはソニョンさんともご挨拶をして荷物の整理を手伝った
子供たちの歓声に場は一気に明るくなった

ソクさんは伏し目がちだけど傍目にはにこやかでソツなく見える
釣りのコツなんかをアレコレ聞かれて和んでいる

「ソクさ~ん!ねぇ僕にも教えてよママばっかじゃなくて」
「ええっ?」
「ジュンっ失礼なこと言うんじゃありません」
「やっぱ美人は得だな、おい、ウォンも頑張れよ」
「何をどう頑張ればいいのよ」
「もうふたりともやめなさいったら」

ジュンホ君とソクさんはおかしそうに笑っている
ソクさんは子供たちにまとわりつかれたりしながら何とか楽しそうにやっていた
ずいぶん経って…
ジュン君が釣り針を指に刺して泣き出すまでは

ソニョンさんがジュン君の小さな指の血を止め丁寧に薬をつけている
少し離れてじっと見ていたソクさんは
急にトイレに行きたいと言って立ち上がった
ジュンホ君に奥のコテージの場所を聞きひとり林の中に入って行く

少し躊躇してから俺も行ってこようと言って後を追いかけた

思った通り
湖の淵からちょっと離れた木立ちの中にソクさんは座っていた
切り株に座り込んでうなだれたように俯いている

俺はゆっくり近づき草の上に膝をついて下から覗き込んだ

「ソクさん?」
「あ…?」
「ソクさん…どうしたんですか?」
「スヒョク…」
「少しくらい…その…話して下さいよ…」
「…」
「思い…出すんですか?」

ソクさんは目を閉じ顔を拭うように覆った
俺がそっとその指を外すとその唇は僅かに震えていた

「ソクさん…」
「似てるんだ」
「…」
「すごく似てる…声まで…」
「ソクさん…」
「…」
「…ジュン君でしょ?」
「…」

顔を上げ俺を見るソクさんの目は真っ赤に充血していた

「大丈夫だと思ったんだ…でも…最…」
「ソクさん…」
「最後の…姿を思い出して…」

俺は唾を呑み込んだ
最後の姿…
そんな生々しい言葉を聞くとは思わなかった

ソクさんは唇を白くなるほど噛んでいる
涙をこぼすまいと見上げたその目は、俺には見えないものを睨んでいた


ぼくにできること…  ぴかろん

部屋に帰ってベッドに入り目を瞑った
眠れなかった
弟と二人で仕事をしていた頃を思い出す…

イリアはクソ真面目に標的に向かい、あと一歩のところで逆に敵の罠に嵌ってしまう…
ギョンビンがそんなドジを踏まなかったのは、イリアと違ってチームで動いていたからだ…

僕は先に情報提供者と接触する役割だった
ほぼ、女性で正確な情報を得る事ができた…
『えろみん』だったから…

なぜこんなに胸騒ぎがするのか解らない…
簡単な仕事だと聞いていた
違うのか?
ギョンビンはバイトの身の上なのに…なぜロンドンにまで飛ばなきゃいけなかったんだろう…
僕がそばにいれば、きっとその疑問をぶつけられたのに…

諜報部を辞めた僕が出来る事…

昔の仲間に電話してみようか…
それとも直接課長に…

情報を漏らすはずがない…
だけど…ギョンビンが会いに行ったワインバーグ教授の事ぐらい教えてもらえるだろう…

僕がひっかかるのは任務の内容ではない…
その人物そのものだ…

ちょっと変わった先生だという事は聞いた
弟にもそう伝えた…
今頃になってこんなに胸騒ぎがするなんて…

ギョンビンはもう教授とコンタクトを取ったに違いない…
順調に任務遂行中か?
帰って来るとしたらあさって…
もし…予定が延びたとしたら…それは変わり者の先生相手にギョンビンが四苦八苦しているという事だ…
そうでなくて予定が延びるとしたら…
いや…予定通り帰って来るさ…取り越し苦労だ

弟がこういう任務につくと、決まって心配になる…
諜報部員なのに人を疑う事をしない男だ
あいつは…素直すぎる…

「だから向かないって言ったのに…」

あいつがこの仕事に入ると言った時、僕は電話でお前には向いてない、辞めろと言ったんだ…
僕の言う事など聞かなかったな…あの頃のあいつは…
もし僕達が二人とも現役だとしたら…この任務は真っ先に僕のところに来たはずだ…

次から次へと不安がよぎる
僕は起き上がってノートパソコンの電源を入れ、調べうる限りの事を調べた

エリック・ワインバーグ 心理学教授…「1995年のテロリストの行動心理学」
この論文をギョンビンは訳した…
教授にしては…若い…ハンサムだ…
きっともてるだろう…でも独身だ…いや、だから独身なのか…



それ以上の情報は、一般のサイトからは得られない…
朝になったら…やはり課長に電話をいれてみよう…
僕はもう一度ベッドに入り、無理矢理目を瞑った


朝、イナの部屋に行って昨日の夜の事を口止めした

部屋に戻って課長に電話を入れる

「ミン・ギョンビンです…兄の方」
「あら…珍しい…。二人で急に辞めたかと思ったら…弟の活躍をやっかんでお兄様もまた仕事に復帰したくなった?」
「相変わらずイヤミですね、課長…。それと、僕の名前はミン・ギョンジンです。以後そう呼んでください」
「ふぅん…やっと本名名乗る気になった…」
「…。課長…弟の任務の事で少し伺いたいんですが…」
「任務の内容は教えられないわねぇ…いくら貴方でも…」
「…いえ…。内容ではなくて…ギョンビンが接触するワインバーグ教授の事を知りたいんです…。どんな方なんでしょうか…」
「教授に興味があるってこと?…貴方が得ている情報程度の事しか解らないわ」
「…そうですか…かなり難しい人物だと聞きましたが…」
「そういう噂ね…。だからギョンビン君に行ってもらったのよ…」
「あいつが素人っぽく接すれば門前払いは食わないという事ですね?」
「…そうね…」
「僕もあいつにそう言いました。ただ、どういう意味で素人っぽいのか…気になりましてね…。スパイとしての駆け引きに慣れていないような雰囲気があるということですか?」
「そういう事じゃないかしら…」
「…。有難うございます」

この任務において、ワインバーグ教授自身は重要ではないのだ…
これ以上元いた諜報部に聞いても僕の欲しい答えは出ない
…どうしてもひっかかる…
その人物自身が…僕にとって…いや、弟にとって重要な気がしてならない…

僕はMI6の友人に電話をかけた

『だれ』
「そっちは何時だ?」
『誰だよ』
「モロッコの彼女とずっとかくれんぼしていたかった?」
『…。おおおお!エロミンっ!なんだこんな夜中に!』
「ミン・ギョンジンだ。覚えとけ。聞きたい事がある。お前、オックスフォード大学の心理学教授、エリック・ワインバーグについて何か知らないか?」
『…。なんなんだいきなり…』
「どういう人なのか知りたい…。知ってる限りの情報をくれないか」
『…。何のために?お前が仕事を辞めたって事はこちらでも話題になったぞ』
「そうか」
『弟も一緒に辞めたって?』
「辞めたんだがバイトしてたらそっちへ行く羽目になった」
『え?お前が来るの?』
「弟が行ってる…何かあったらお前を訪ねるように言ってある。来てないようだな…」
『へぇ~。お前の弟って事はさぞかしエロいんだろうな。似てるのか?』
「容姿はそっくりだ。…エロいとまずいのか?」
『え?何が』
「その教授だ」
『は?』
「…教えてくれ…どういう人なんだ。難しい人なのか?…弟は諜報部を辞めた身だ。危険な目に遭わせたくない」
『…危険…ねぇ…。危険人物ではない。危険な事に関する論文は…』
「それは知ってる。そういう事じゃなくて、教授個人に関する情報だ!」
『…個人に関するったって…俺が知ってるのは独身でハンサムで…』
「それも知ってる!」
『じゃあ俺の知ってることは全部知ってるんじゃないか…』
「ほかに…ほかに何かないか…」
『何を慌ててるんだよ…』
「胸騒ぎがするんだ…」
『へぇ…弟が心配?お前、弟と仲悪かったんじゃないの?』
「仲がよすぎて仲悪くなったんだよ」
『…ふぅん…。まぁ心配することないんじゃない?変わり者ってのはユダヤ人特有の個性だろ?それ以外はゲイって事ぐらいかな』


なんだって?!

『お前そっくりな弟なら大丈夫だろ。お前からはいつも女の匂いがしたもの。そのミニチュアだろ?』
「弟は…ストイックだ」
『…。ほぉ…。ま…大丈夫だろ…おっともうこんな時間だ、失礼、彼女がベッドで待ってる…』

ゲイ?


だからといって弟に興味を示すとは…
そうとは…

「聞かなきゃよかった…」

電話を置くと指が震えた
イナ…何も解らないイナに…縋りたい…
僕はイナの部屋に行こうとしていた
ドアを開けるとミンチョルさんがいた

「ミンの滞在が延びるとメールがありました…」
「…。そうですか…」
「よくあることなんですよね…」
「…。変わり者の教授らしいから…悪戦苦闘してるのかも…」
「でも…コンタクトは取れたと…とても感じのいい教授だとこの前のメールにありました…」

僕はとっさに仮面を被る
わざとらしい笑顔や励ましは禁物だ…
僕は…プロだったのだから…
ギョンビン…
お前の大切な人を…不安にさせてはいけないよね…

「そう…。偏見ではありませんけど、ユダヤ人の教授です。感じよく接していてもここぞと言う時には偏屈になる場合が多い…。そういうパターンなのかな…」
「…」
「…素直な性格を好む人らしいですから…ギョンビンならきっとうまくいく。時間をかけて教授の心を解きほぐす作戦かもしれない…」
「…そう…ですか…。すみません…少しだけ不安になったもので」
「ああん、そんな口実を使って僕のところへ?!…くふん…どうしてギョンビンのやつ、昨日の夜届くようにメールしなかったんだろう…くふん…そしたら僕、夜通しミンチョルさんを慰めてあげたのにぃ…。あ…よかったら今夜でも…どうです?けひっ」
「…ふ…。ラブを呼ぶんじゃなかったんですか?」
「あっ!そうだった…」
「ありがとう、おにいさん…。じゃあ心配しなくていいんですね?」
「心配かぁ…。何かあったらイギリスのMI6の友人に連絡を入れるように頼みましたから、今のところ大丈夫でしょう。弟は完璧にやり遂げないと気がすまない性質だし…。時間がかかるんですよ…要領が悪いんだよな…。あ…弟には内緒ですよ。きっと目を吊り上げてラブとの事を詰りますから…。
さてと…僕はもう一人の僕の崇拝者の顔を見てきます」
「は?」
「けひひん…イナですよ…、あいつったら我慢しておとといも昨日も僕んとこに来なかったでしょう?せめて起こしてやろうかなって思って…くふふん、クソジジイのこと思って泣いてるんじゃないかな?おほほほ」
「…はぁ…。おとといは…僕と寝ましたから…」
「なんですって?!ひどいじゃないですか!どうして僕をその場に入れてくれなかったんですかっ!二人の真ん中で寝るチャンスだったのに!」
「…げほっ…」
「もし今度二人で寝る事になったら絶対僕も呼んでくださいね!絶対ですよ!…もちろん弟には…秘密で…けひっ」
「…は…」

僕はその道化の仮面をつけたまま、イナの部屋に押し入った
イナはベッドの上に座ってぼんやりしていた

イナの顔を見るとどうしてこんなに抑えられなくなるのだろう…
僕はまたイナに抱きついて暫くこうしていてほしいと頼んだ

イナはもう驚きもせず、僕の背中を擦ってくれた
どうか…どうか…弟を傷つけないで…
神様がいるのなら…僕の願いを聞き届けてください…どうか…

「泣きたきゃ泣けよ…」
「泣けない…今泣いちゃいけないんだ…」
「まだ…脱け出してない?」
「囚われてるかどうかだって解んないんだ…。僕が先走ってるだけなんだ…でも…不安で堪らなくて…すまない…」
「…ラブでなくていいのか?」
「…ラブにも…黙ってて…。お前にしか…頼れない…」
「…解った…」

イナの手からパワーを分けて貰えるような気がした…
イナはやっぱり僕にとって特別な人なんだ…

「俺、役に立ってるか?」
「ああ…」
「よかった…」

それ以上何も聞かないイナを、僕は暫く抱きしめていた


「この世は果てても」 ロージーさん  

この愛を 失くしても
陽光-hikari-は そそぎ
波は 寄せるだろう
何も知らないで

そう 小鳥は 歌い 
緑は 萌えて
星は 輝くだろう
何も知らないで

この愛を失くしたなら
この世界は 終わる
僕には ああ 僕には
この世の終わりでも

変わらない朝が来て
この身さえ 息づいて
涙も 流すのかな…
何も知らないで…

『…あなたを失くしても…僕は生きてゆくのかな…』

でも…この世は終わり 果てる
あなたを 失くしたなら…
…失くしたら…

(スキーター・デイビス『THE END OF THE WORLD』)

日本語詞 Rosy


懐かしい笑顔  足バンさん

「砂糖は入れる?」
「あ?…ああ…あ、いや、やめておく」
「クリームは?」
「やめておく…」

ミンチョルはブラックの珈琲を見つめて小さなため息をついた

僕とミンチョルは公園近くのイタリアンの店で遅い昼食をとった
大きな窓から見える公園の木立を眺めながら
お互いの仕事の状況など大して重要でない話をぽつぽつ話しながら


今朝少し寝過ごして慌てて着替えてリビングにいくと
ミンチョルがぼんやりと窓の外を見ていた

「おはよう、ギョンジンたちは部屋?」
「あ、うん、そうかな」
「僕はもう出るから朝メシはいらない、映画の打ち合わせが入ってる」
「ああ、わかった」
「…どうしたの?」
「何が?」
「その顔は何かあっただろう」
「…」
「ちゃんと言いなさいって」
「その…」
「ギョンビン?」
「ああ…帰りの予定が延びるそうだ…」
「そうか」
「お兄さんは心配ないって言うんだけれど…」
「そう…でも心配なんでしょ?」
「ああ…でも…何を心配していいのか…よくわからない…」

窓からの優しい陽の光がその横顔に憂いの影をおとす
おまえが伏し目でそういう顔をする時は
不安をどう処理していいかわからずにいる時なんだよ

「ミンチョル、今日の昼一緒に食べよう」
「僕もミューズに顔を出すからちょっと遅くなる」
「いいよ、来るまで待ってるから」
「でも…」
「僕だって我慢したんだから少しくらいつき合いなさいよ」
「何の我慢?」

僕が耳元で「夜這い」と囁くとミンチョルは一瞬ぽかんとした顔になった

「じゃミューズから電話してね」

僕がそのままジャケットを持って玄関に歩き出し振り返ると
ミンチョルはその頃やっと顔を赤くしてケホンコホンしていた

食事のあと僕たちはぶらぶらと公園を歩いた
もう秋の空気がそこここを取り巻いていて
どこからか甘い木犀の香りが漂ってくる

「なぁ…ギョンビンが戻ったら4人でメシでも食おうか」
「そうだな」
「でもあいつら忙しいんだろうなミューズの件もあるしね」
「おまえだって映画で忙しくなるんだろう?」
「まぁね…ウエイトトレーニングも組まれるらしい」
「何でだ?」
「そりゃ身体を見せるからだろ」
「…」
「そこで黙るなよ」
「いや…あ…なるほどね…ケホッ」

「その…ロンドンでは楽しんだかな…ふたり」
「大騒ぎだったんじゃないきっと」
「ドンジュンは予定通り帰国?」
「さぁ…たぶんね、全然連絡よこさないから」
「仕事うまくやってるかな」
「あいつのことだからまた周りを振り回してるんじゃない」
「心配にならないか?」
「心配だよ…鉄砲玉だからね」
「それでも平気?」
「平気じゃない…でもできることは決まってる」

ミンチョルは立ち止まってこちらをじっと見る
僕が大きな銀杏の下のペンキのはげかかったベンチに腰をおろすと
ミンチョルも横にゆっくりと座った

「待っててやるしかないでしょ」
「…」
「遠くに行っちゃうんじゃないかって思うの?」
「特殊な世界だから…不安になる」
「おまえ、ギョンビンが行く前にちゃんと話したって言ったでしょ?」
「ああ」
「ギョンビンが選んだことなら理解できる自信があるって言ったんでしょ?」
「ああ…言った」
「きっとそれを支えにしてるよ彼は」
「うん…」

ミンチョルは腕の時計を見つめてそっと指先で文字盤をなぞっている

「そんな切ない横顔見せるなよ…嫉妬で身がよじれる」
「ばか…またそういうことを」

僕は膝にひじをのせてミンチョルを覗き込んだ

「僕が…どうしてギョンビンならおまえを任せようと思ったかわかる?」
「スヒョン…」
「あのしなやかさがおまえに必要だと思った」
「…」
「正面から立ち向かって…最後にはちゃんと自分の答えを見つけて戻ってくる…でしょ?」
「…」
「どんなことがあっても帰るのはおまえのところだから」
「スヒョン…」

僕が右腕を差し出すと
ミンチョルは少しためらって控え目に左手を重ねる
僕はその手をゆっくりと握りしめた

「待っててあげなさい…送り出した時と同じ場所で」

ミンチョルは不安の残る瞳で僕を見て
それでも口元に微笑みを浮かべて小さく何度も頷いた

遠くの陽だまりで子供らがはしゃいでいる
僕たちはその景色を眺めながら
僕たちの大切な懐かしい笑顔を想い出していた

スヒョン完成


恋愛中毒5 れいんさん

閉店後、閑散とした店の中で彼を待っていた
戸締りはして帰ります、と、帰り支度をしているチーフに言った
先程まで賑わっていた店は、嘘の様に広々として寂しかった
僕は誰もいない場所で一人、彼が来るのを待っていた

電話が鳴った
きっと彼からだ
もう着いたのかな
用件は解ってる
今から戻る…
彼の声が聞こえた気がした

「あ、テジンさん?無事に着きましたか?…そう、よかった
え…?…そうですか。…じゃあ、僕先に家に帰ってますから…え…?」

急に電話の相手が変わった
エジュさんの声だった

「あ…エジュさん。大丈夫ですか?…ええ、それは気にしないで…
え…?テジンさんを…それはどういう…あっ…エジュさん待って…」

突然、電話が…切れた…
僕は慌ててかけなおした
何の応答もなかった
何か電話のトラブルでもあったのだと思いたかった
すぐにまた彼から電話がかかってくる
僕はじっと携帯電話を見つめていた
でも…いくら待っても電話は鳴らなかった

…どういう事…?
すぐ傍にエジュさんがいるの?
…なぜ?
…彼女の部屋にいるの?

彼女の言葉を思い返した
今日一日だけ、彼を貸して
最後のお願い…
それはどういう意味なの?
許してって…何を許すの?
…今、何処にいるの?
…今、何をしてるの?

どろどろとした悪い想像が僕を支配しようとする
僕は目を閉じ、二、三度首を横に振った
そのおかしな想像を頭の中から追い払った

そんな事考えちゃいけない
僕は彼を信じてる
彼は僕に愛を誓ってくれた
いつも、どんな時も僕を愛してくれた
僕達二人の仲はそんなに簡単に壊れてしまうものじゃない
ここまで来るのに、どんな困難も二人で乗り越えてきたのだから
世界中の誰にも許してもらえなくても
罪を背負いながら共に生きようと決めたのだから

僕の中の貴方が消えたりしない様に
貴方の中の僕も消えたりしないでしょう?
待ってていいんですよね?
ここで貴方が来るのを待っていてもいいんですよね?
貴方の事を信じていてもいいんですよね?


彼女の手が僕の手の上にしっかりと重ねられていた
振りほどく事などた易いはずなのに
僕はそのふくらみから手を離す事ができなかった

「エジュ…」

抱いてもいいのよ
誰にも言わない
二人だけの秘密
あの時だってそうしたでしょ
ウンスさんには何も告げずに、私は貴方達の前から姿を消した
あなた宛の手紙をウンスさんさえ開かなければ
あの秘密は永遠に闇に葬られるはずだった
今度こそうまくいくわ
スハ君には知られない様に

「エジュ…ダメだ」

テジン…あなたの心まで欲しいだなんて言ってないのよ
ただ、私を慰めてくれるだけでいいの
可哀想な女に一度だけ情けをかけた…
そう思えばいいの
罪の意識なんて感じなくてもいいわ
それとも…
女の身体は嫌い?

エジュ…君は…

その昔、大神ゼウスによって創られ、地上に舞い降りたパンドラ
美貌と知性を神々に授かり
その美しい声で愛を囁き、男達を惑わせる
開けてはいけないと固く言い渡されていた壷の蓋を
誰にも秘密なら…ほんの少しだけなら…と
パンドラは開けてしまった

君はそのパンドラなのか
妖しい囁きで僕を惑わす
僕にもその壷を一緒に開けろとでも言うのか
僕はもう抗う事はできないのか

体中に熱いものがこみ上げてきた
僕は僕の本能のままに彼女の柔らかな乳房を揉みしだいた

「ああ…」

彼女の唇から歓喜の溜息がこぼれた
そのまま彼女を横たえ、僕の身体を重ね合わせた
彼女の香りと、吸い付くような白い肌に僕の理性はかき消された
しなやかなその腕が僕の首筋に絡みつく
僕の心の中の大切なものが、完全に霧の中に覆われていった
僕達はどちらからともなく、唇を重ね合い、互いに激しく貪り合った

彼女の首筋、はだけた肩、鎖骨…
順に唇を這わせその感触を味わった
その白くてしなやかな肢体は僕の本能を呼び覚ました

彼女の細い指が一つ一つシャツのボタンを外していく
僕もまた彼女が身に纏っている物をゆっくりと脱がせていく
彼女の瞳が濡れていた
瞳の奥に哀しい欲望をたたえて
その涙に僕の手の動きが止まる

いいのよ、テジン
何も考えないで
愛して無くてもいいの
貴方は何も悪くない
こうなるのを望んだのは私
寒くて凍えそうな私を、貴方は温めているだけの事
だから何も心配しないで

彼女は哀しい瞳で僕に口づけを懇願する
僕はいざなわれるままにその唇に口づける
彼女の哀しみを感じた
心が泣き叫んでいるのが解った
たまらなくて僕はなおも激しく口づけをする
僕の頭をかき抱き切ない涙を流す彼女

僕達を覆う薄布の擦れ合う音
忍び泣きにさえ聞こえる彼女の吐息
罪を忘れるために繰り返す口づけ
それらの音だけが、夜の静寂の中、聞こえていた


闇夜の調査&お留守番_6  妄想省家政婦mayoさん

金浦空港の駐車場に止めておいた単車でミンジュンのインテリアショップへ移動した..
単車の音に気づいたミンジュンが店の入口で出迎え..奥の事務所にはミンジュン父が待っていた..
ミンジュンは身の丈180を超える長身の馬面だが..父も顔のデカさは負けていない..
 
ミンジュンが主に仏や伊のモダンデザインや北欧家具等を扱うのに対し
父親の店は伝統家具を扱う店を構えている..
釜山に何軒もある李朝家具の店を教えてくれたのは私が”おじ様”と呼んでいるミンジュン父だ..

「さっきミンジュンから聞いたが..釜山に行ったって? どの店かな?」
「西面の伽耶琴に..」
「ぉ..そっか..どうだった..」
「おじ様の店よりも..はる...っかに良い物ばかり揃ってましたょ..」
「あはは...こらっ#..」
「す..すいませ~~ん.>_<..」

緑茶を運んで来て座ったミンジュンがぷっ#..っと吹き出した..

「伽耶琴はオリジナルしか扱ってないように見えたんですけど..」
「ん..あそこはオリジナルしか扱ってないはずだよ」
「やっぱり..」
「オリジナル..リプロダクション..レプリカの違いはわかるかい?」
「少しは..リプロの判断は素人には難しいです..」
「ん..プロでも難しいときがあるよ..」

厳密には李氏朝鮮時代の制作のみが「オリジナル」の李朝家具だが
李氏朝鮮時代から日本統治が始まるまでに作られものを「オリジナル」
それ以降古材を使用して作成されたものを「リプロダクション」
新しい材料で李朝風に作った現代作を「レプリカ」と店によって呼び分けることもある..
ミンジュン父の店の李朝家具は李朝末期の「オリジナル」と新作「レプリカ」を扱っている..

「オリジナルは古ければ古いほど国内に現存する数が年々少なくなってる..
 日本や中国にいい品が渡ったりしてるからね..」
「当然”北”にも?..おじ様.」
「ぅむ..それもあるだろう..」

釜山はソウルに次ぐ韓国第2の都市だ..日本とも古くから関わりがあり..
鎖国時代の日本で日本人が唯一海外に居住できる場所でもあった..
日本統治時は日本内地との貿易港として発展し..今は大阪..広島..下関..博多港と海路を結ぶ..
昔から李朝家具が日本に渡り..日本の家具が釜山から韓国に入ってきてもなんら不思議はない..

また朝鮮戦争時は早くにソウルが陥落し北が早い進撃で南下を始め..
釜山が一時的に首都になり..多くが釜山に疎開した..
無法状態のソウルから美術品が消えるのは当然かもしれない..

「リプロだが..古材を利用したリプロをオリジナルと称して店頭に出す業者もいる..」
「美術品にありがちなことですね..」
「ん..伽耶琴の柳君はね..昔から評判の目利きだった..」
「..ソウルで昔..会社をやっていたと..」
「知ってるのか..」
「..ちょっと..」
「その会社だが..」

テソン父の会社は李朝家具と工芸品..中国の螺鈿家具..等を扱っていた..
同業者間の取引も多く..小さいながらも手堅く商売をしていたが規模を広げるために無理をした..
いつもと違う仲買人を通し..仕入れた中に李朝家具と螺鈿家具の贋作があった..
見落としたテソン父はそれを売った..売った相手が悪かった..堅気の人間ではなかったようだ..

会社を手放した後..何年かは一から勉強するため国内を転々とし..各地に散らばる家具を見て回った..
釜山に落ち着くことを決めて店を出す時に一度ミンジュン父に挨拶に来た..
ミンジュン父も餞別の意を込めて当時店で一番いい品を譲った..

テソン父は今も時々は日本に渡った家具を直接見て回る..いい品だけを逆輸入し..
中にはかなりの掘り出し物もあるらしい..
テソン父はいい品が見つかるとかなり粘って譲り受けてくるという..

『..粘りは父親....忍耐は母親ゆずり..か..』

宣伝を全くしないが..客を大事にする人柄で評判はソウルにも届いている..
が昔の経緯もあってかソウルに戻る様子は微塵もない..

「っと..いうわけだ..」
「そう..ぁ..(小指立てる)は?..昔酷かったとか..」
「それはないだろうなぁ..あったとしても例の贋作で荒れてた時じゃないかな?」
「親父とは違うんだ..」
「ミンジュン#余計なこと言うな#..」
「へ~~ぃ..」
「^^;;..」

「私はここ何年か会ってないが..どうだった..」
「物静かな印象で..家具のことを話すときは目が輝いて..梱包を見てるときも名残惜しそうに..」
「子供みたいなもんだからな..それにやっぱり好きなんだろう..李朝家具は奥が深いからね..」
「..おじ様..いろいろありがとう..」
「ぃゃぃゃ..ところで何か関係あるのか?..伽耶琴の柳君と..」
「...」
「親父..まよにそういう事聞いても口割らないよ..」
「そう言われるとなぁ..聞きたくなるじゃろが..昨日今日の付き合いじゃあるまい..」
「^^;;..」
「余計な事探るだけ無駄#..僕等が知らなくてもいいことだ..」
「ふん!!..お前がそんな風だから..わしはまよ君に”お父様”と呼ばれんのじゃ..」
「親父~~またその話..ぐちぐちねちねちほじくり返す..諦め悪いなぁ..」
「何を..親に向かって..ぐちねちとは..」
「んなことより店の売上げ伸ばすこと考えたら?..今月も俺の店より少ないさ?..」
「へ...へん!!うるさいわ..」
「ふふ~~んだ..悔しかったら売り上げ伸ばしてみなぁ~~」
「んぐぐ...図体も態度も顔もデカクなりおって..」
「顔がデカイのは親父譲りだろっ#..できるなら俺は小さくしたいよ#」
「ぁ..ぁ.」

「^^;;...(まただ..)」

家長絶対主義...儒教精神..何のその...
この父子は互いにあぁだこうだといつも悪態を突っつき合い..結構それを楽しんでいる..
昔から互いに思いっきりぶつかっていく..そんな父子だ..
互いに本当に理解し合えないと出来ないことかもしれない..

ミンジュン父に食事に誘われたがまた次の機会に..と辞退して店を出た..
テソン父子のことを想うと今日はミンジュン父子との食事の気分ではなかった..

漢江の流れに沿うオリンピック大路をぐるり廻り漢南大橋を望む空き地で単車を降りた..
大橋の照明が漢江の水面に反射し焦点の合わない視界を揺らす..
携帯を親指でワンプッシュで開き..中指でパタンと閉じる..
カチッ..パタン..カチッ..パタン..カチッ..パタン..を繰り返す私の頬を風が通り抜けていた..


Violation 2 オリーさん

彼が僕の耳元で囁く
ミン…ミン…
来てくれたんだね、会いたかった
ミン…
ずっとずっと会いたかった
耳を軽く噛まれる
目を閉じて待つ
彼の唇は頬を伝わり、やがて僕の唇を捉える
僕の好きな瞬間
いつもいつもこんな風にキスしてくれる
軽く顎をつかんで、僕の名前を呼んで…
僕はそれだけで胸に暖かいものが流れ込み幸せになれる
ベルトに手がかかり、
何か囁きながらバックルをはずす
何?何て言ってるの?
よく聞こえないよ…
金具がこすれる小さな金属音がする
くぐもっていた彼の声がはっきりと僕の耳に届いた

ミン、僕だ、こっちだ…

僕はその声に戸惑って目を開ける
あなたは誰…
そこには違う顔、違う唇、違う声
僕は驚いて、違う唇を離し、違う人を押しのける
その人ははじかれたように後ろへのけぞる

夢から覚めた
現実が僕を取り巻いていた
鼓動が耳元まで届き、大きく耳障りな音をたてている
まるで部屋全体に響いているみたいに
長椅子の端に僕に押し戻された教授がいた
僕たちは椅子のむこうとこちらで視線を絡めあった
まるでコロセウムに引きずり出された獣のように

どれくらいの沈黙があったのだろう
僕は自分の口が動くのを止められなかった
「卑怯だ」
教授は口元に冷たい微笑を浮かべた
「何がだね」
「人の心を弄ぶのはやめてください」
「弄ぶ?心外だな」
「何でも言うとおりにすると言ったのに…」
「何でも言うとおりに?」
教授は長椅子のサイドテーブルの上の眼鏡を掴んでかけると
眼鏡の奥からまた僕を見つめた

再び訪れる沈黙
張り詰めた空気が部屋に充満して息苦しい
教授がゆっくりと動いた
床に落ちたシャツを拾って立ち上がった
「もう昼過ぎだ、食事にしよう」
「食べたくありません」
「何?」
「食欲が…ありません」
「じゃあお茶をいれよう」
シャツを着ながら教授が僕の前に立った
そろそろと足元から順に見上げた
「急ぎすぎたようだ。もう少し時間をかけよう」
教授はそう言って僕の肩に手を置いて出て行った
その後姿がぼやけた
それで涙が出たことに気づいた

起き上がってはだけたボタンを留めた
あの人のせいではない
中途半端な自分が悪い
足元の地面が割れるような感覚が僕を襲った
思わず両手で自分を抱きしめた
押し込めていた彼がどんどん現れる
微笑む顔、揺れる顔、絶望する顔、そして拒絶する顔
ああ、そんな顔しないで
こんな僕を待っていてくれる?
こんな僕を理解してくれる?
会いたい…
ここへ来て抱いて…
何でもないって言って僕を抱いて…

次に兄さんの顔が浮かんだ
僕は何もわかっていなかった
兄さんがなぜ相手をみんな好きになったのか
好きにならなければやっていけない
そうだったんだね
そうやって折り合いをつけてたんだね
今頃わかった
僕はそれをみんな兄さんにやらせてたんだね
兄さんは僕を守ってくれてたんだ
僕には無理だってわかってたから
あの頃無理だったなら
今はもっと無理だよね
これは今までみんな兄さんにやらせてきた罰かもしれない
ごめんね…

でも今は兄さんはいない
ひとりで何とかしなくちゃ…
何とか…
あの人は僕のすべてが欲しいって言ってる
そんなの無理だ
やり過ごせると思ってたけど、無理だ
どうすればいい?
兄さん、どうすれば…
僕さえうまくやればいいんだよね…
うまく…
不器用な自分が恨めしい
何でもない振りをして
仕事が終わるまで恋人のふりをして
やっぱりできない
できないよ、兄さん…
キスでさえ彼の事を押し込めるので精一杯
それだってうまくできなかった
馬鹿だよね、相手は心のプロだった
兄さん、助けて…

僕は長椅子の上で顔を覆った
それでもやはり進まなければ
戻れないのだから進むしかない
前に…

ミン、戻っておいで…
彼が笑った
もう少しで帰るから待っていて
帰るから…
帰ったら僕を離さないで
どんなに怒ってもいいから
どんなに叱ってもいいから
拒まないで…こんな僕を

長いことかかって僕はどうにかこうにか自分を取り繕った
そしてまた彼を無理矢理押し込んだ
とても骨の折れる作業だった
だからまったく気づかなかった
キッチンで起きていた異変に…

ドアを荒々しく開ける音で我に返った
顔を上げると目に飛び込んできたのは
見知らぬ男に羽交い絞めにされた教授だった
後ろから、別の男がすばやく部屋に入ってきた
アラブ人だ
僕は反射的に立ち上がった

「こいつは?」
僕の方を銃で指しながら男はアラブ訛りの強い英語で教授に尋ねた
「私の助手だ」
教授が答えると男はにやりと笑った
「運のない奴だな」
男はそう言うと無造作に引き金を引いた

教授が短い悲鳴を上げ
僕は衝撃で立ち上がったばかりの椅子に沈んだ


テジュンさんのしごと 2 ぴかろん

先輩はズケズケとものを言う
それだけ僕の事を身近に感じてくれているという事だろう…

「何で辞めたんだ?」
「…。仕事よりも…大切なものが…できたから…」
「…さっき言ってた恋人?」
「…えへへ…」
「結婚するのか?」
「…いえ…」
「でもいずれはするだろう?」
「…いえ…」
「何よ、結婚はしないっていう事を決めてるわけ?」
「したくても…いや…。あはは」
「…反対されてるの?」
「そんな事は全くありませんよ…もういいじゃないですか…」
「だってよぉ、結婚するわけでもない恋人のために、大好きな仕事を辞めるなんて…俺には解らんなぁ…」
「…その事はもういいでしょ?」
「よくない…。お前には今後も講師として色々やって貰いたいと思ってるんだよ」
「え…」
「今後はホテリア系列の企業だけじゃなくて、求められたら色々な会社の研修を行いたいと思っているんだ。お前の話術と誠実さが必要だ」
「は?…僕は今回だけのつもりで…」
「楽しかったろ?」
「…」
「お前、いつか後進の指導に従事したいとか言ってたじゃねぇか」
「…それは…ホテリアホテルの後進の指導という意味で…他の企業だなんて…無理ですよ」
「同じだろ?どこの会社でも接客の基本は同じだ。俺ももう少し手を広げないと食っていけなくなりそうでな…」
「…先輩…でも…他の企業を相手するとしたら…ホテリアの接客ノウハウが漏れてしまうことになる」
「そうだよ」
「…それは…」
「それは…何だ?」
「僕達を育ててくれたホテリアに対して、裏切り行為になりませんか?」
「なんねぇよ。企業秘密を暴露するわけじゃない。接客のノウハウだ。問題ない」
「でも…それじゃ…。例えばホテリアのライバルホテルの従業員たちの研修も取り扱う可能性があるって事ですよね?」
「そうだな…求められれば…」
「それじゃ大げさに言うと、各ホテルの接客が同じになってしまう…」
「基本は同じだ。だけどプラスアルファはそれぞれ違うはずだ」
「…」
「これはホテリアの接客マニュアルだが、各ホテルで独自のプラスアルファなサービスマニュアルを作り出すよう指導するんだ」
「…はあ…」
「例えば、色々なホテルの従業員を集めた研修をして、昨日みたいにディスカッションさせる。手の内を見せ合ったところから各々のホテルのプランを考えていってもらうんだ。そうする事により、各ホテルの。それによって各ホテルとも、接客サービスのグレードは上がっていくだろう?違うか?」
「…ええ…はい…そう…ですね…」
「その講師の一員になってくれ。どうだ?」
「…。面白そうですね…でも…」
「でも?」
「…出張が多い?」
「そうだ。ほとんど出張だな」
「…」
「一研修終わるごとに休みを取れる…。お前程の実力なら、講演依頼も殺到するだろうな…」
「…本当に休みが取れますか?」
「何だ?恋人に寂しい思いをさせたくないってヤツか?…なら恋人と一緒に研修に参加すればいい。先に結婚して各地を回るのもいいぞ。ずっと新婚旅行気分だ…どうだ?」
「…それはできません…。か…。…僕のパートナーも仕事を持ってますから…」
「辞めさせろよ」
「できません」
「…じゃ、寂しい思いをしてもらうしかないな…」
「…本当に、出張の研修が終わる度に、何日か休みが貰えるんですか?」
「お前の人気が出なきゃ、そのつもりだ」
「じゃ、例えば今回のような場合は?」
「一週間拘束したから三日間ってとこかな…」
「…」
「好待遇だろうが!」
「…そうなんですか?」
「そうだよ!」
「…」
「何よりもな…お前がイキイキしてた…」
「…」
「だからこんなにしつこく誘ってるんだ…。ほかに何かやりたい仕事でもあるのか?」
「…今探している最中です…」
「じゃもう見つかっただろ」
「…先輩…強引だな…」
「とにかく俺はお前に来てもらいたい!求められるうちが花だぞ」
「…」
「恋人とよく相談しろ!結婚するならしちまえ」
「…」
「連れて回っても構わんから、そう言え」
「それはできません…」
「まーったく!恋人に聞いてみろっての!」
「…ええ…相談してみます…」
「やりたい仕事だろ?」
「は…はい…」
「なら迷うな。女如きに振り回されるな!」
「…ふ…」

僕はその後もしつこく先輩の勧誘を受けていた
半分以上気持ちは傾いていた
ただ…イナが何というだろう…
それが心配だった…

先輩の話では、今回のような一週間の研修は稀で、ほとんどが一日ないし二日といったところ…
場所によっては二泊三日という事もあるし、ソウル市内なら泊りでなくてもよいらしい
もちろん泊りになる場合もあるが…
たまに十日間だとか二週間だとかいった大掛かりな研修も入ってくるという…
そして講師自身が受ける研修もあるとか…

「先輩…ホテルにいらした頃と比べて、忙しさはどうですか?」
「気ぜわしくはない。ホテルでは次々にやってくるお客様に対応しなきゃいけなかったろ?色んな問題が起きてくるからその場その場で処理してた。お前の方が詳しいだろうが、ついこないだまで現場にいたんだから…」
「…はい…ホテルの事は…解りますが…」
「色んな人がいるもんだ。ホテルの従業員の中にも色んな奴がいる…。そんな中で残っていくのは本当にホテルの仕事が好きな奴だけだ。お前はずっとホテルに残ると思ってたのになぁ…。なんなら暫く講師やって、現場復帰してみるか?総支配人としてのグレードも大幅アップできるぞ」
「はは…ふぅ…」
「何だよぉため息なんかついて…。そんなに恋人の事が気になるのか?ん?なら早く結婚して子供作って子育てさせてやれよ。そしたら寂しくないし、お前なんかお払い箱になるぞ?はははっ」
「…。先輩、お払い箱?」
「そうだっ!はっはっはっ…はぁ~…。そりゃ最初のうちは文句言われたけど、子供が生まれて、増えてくると、俺がたまにしか帰らない方がラクチンなんてぬかしやがって…全く」

そんな事を言いながら、先輩の瞳は微笑んでいた
たまに帰っていって家族に愛情をたっぷり注ぐ…
普段側にいない分、休む時にはいい夫でいい父親になれるんだろう…
僕は…
イナ…
どうしたらいいだろう…

お前の側にいようと決めてホテルを辞めてついてきたのに…
イナ…

「先輩…。少し考えさせてください…」
「…前向きに考えてくれよな」
「…はい…」
「んじゃそろそろ寝に帰るか…。明日は昼までだし…。ああそうそう、感想文の中にな、『質問したい事』ってのがあったろ?」
「…はぁ…」
「多分、明日のまとめのディスカッションで出るぞ。『明らかに不自然なカップルが宿泊される場合、どのように対応すればよいのでしょうか…』っての…」
「不自然な…カップル…」
「そうだ。つまりジジイとさ、自分の娘ぐらいのオンナとのカップルだとか、マダムとつばめとかいった不倫モノ…それから…同性のカップル…明らかに『友達』じゃねぇカップルなんかが来た場合って事だ」

どきりとした…
先輩は…
先輩も…やはり…『不自然』と捉えるのだろうな…そういうペアを…

「マニュアルには『お客様のプライバシーに興味を持つな』ってあるだろ?『個人の自由だから』って。その質問を書いた奴はな、頭では解っててもどうしても心で理解できなくて、そういう自分の気持ちがそういったお客様に伝わってしまわないか不安なんだとよ。前向きな奴なんだよな…」
「…はぁ…」
「お前さんならどうする?」
「…僕は…」
「おーっと。今答えなくていいよ。今晩一晩じっくり考えて、そいつの納得のいくように明日話してやってくれ」
「…」
「お前がどう答えるか俺も楽しみだなぁふふん…」
「…先輩はどう答えるんですか?」
「ふーむ…。俺も明日までじっくり考えるよ。ふぁぁ…」
「帰ったらすぐ寝るくせに…」
「夢の中でしっかり考える。はっはっはっ」

僕達はグラスに残った酒を飲み干し、研修施設へと歩いて帰った
空を見上げると星がわずかに瞬いていた
それほどの都会でもないこんな場所でも、街の灯りで星が見えにくい…
ソウルだったらもっと霞んでるだろう…
それでも突き抜けて飛び込んでくる強い光りを放つ星がある…
その星にイナの顔が重なった…

不自然なのかな…
イナが恋しい…


恋愛中毒6  れいんさん

美しく妖しいニンフは僕に暗示を囁きかける
僕は従順な奴隷の様にそれに従う
僕はもう僕ではなく、絡みつくしなやかな蔓に身体の自由を奪われていた
重ねていた身体はいつの間にか入れ替わり
彼女に組み敷かれたまま、僕の身体は甘美なまでの愛撫を受けていた

ああ…テジン…私の愛しい人
忘れたくても忘れられなかった 
憎みたくても憎みきれなかった
貴方が私を見てくれる日をどれ程待っていたと思う?
貴方とこうなる事をずっと夢見ていたのよ

エジュ…僕達は取り返しのつかない罪を犯そうとしているんじゃないか?

取り返しのつかない罪?
そんな事ない
この事は誰も知らない
永遠に私たち二人だけの秘密にすればいいの

永遠の秘密…甘く危険なその響き…
こんな事をしても僕も君も何も得るものはないだろう?違うかい?

貴方が私と一緒に秘密という名の毒を飲んでくれる…
私にはそれだけで十分
貴方と同じ罪を共有したいの

その毒に僕の身体は次第に侵されていく
エジュ…やはりこのまま引き返そう…

そんな事言わないで
今宵だけの寝物語
私には最初で最後の貴方との思い出
ねえ、これはひとときの幻なの
明日になれば全て元通り
何もなかったと言えばいいだけ
昨日までと何一つ変わらない

彼女が囁くその魅惑的な言葉に
哀しい色を帯びたその瞳に
身体を這う細い指先に
僕は翻弄され朦朧と意識が薄れそうになる

私、綺麗?彼女がそう問いかける

ああ…綺麗だよ

僕の中の何かがひび割れ、音をたてて崩れ落ちていく

テジン…今だけは貴方は私だけのもの
私も貴方だけのもの…

ああ…そうだ…

ねえ、抱きしめて…もっと強く抱きしめて

※149に続く



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